ショパンの二人目のピアノ教師

ショパンの最初のピアノ教師とては、ヴォイチェフ・ジヴニーが有名ですが、上達の速いショパンは、1822年(ショパン12歳の頃)にはジヴニーよりも上手に弾けるようになり、ジヴニーは何も教えることがなくなり、のレッスンは終了しました。そして、ジヴニーにかわり、次にショパンにピアノを教えたのは、当時一流のコンサート・ピアニストであったヴュルフェルです。

今日は、このヴュルフェルにスポットを当てて、ショパンとの関連を見ていきましょう。

ヴュルフェル、ヴィルヘルム・ヴァツワフ Würfel,Wilhelm Waclaw 1790-1832

ヴュルフェルは、ボヘミアのプラナニに生まれ、ヴァーツラフ・ヤン・トマーシェクに師事したピアニスト、オルガン奏者、作曲家、指揮者です。1815年から1824年までワルシャワ音楽院の教授も務めていました。ショパン家のサロンの常連でもあり、不定期ながらショパンにピアノを教えました。ショパンはヴュルフェルから「ブリランテ」と呼ばれる現代的で華麗な奏法と様式を学び、フンメル、フィールド、リースなどの当時のヴィルトゥオーソのレパートリーに接しました。またショパンが高等学校在学中には彼からオルガンの手ほどきも受けています。

その後、ヴュルフェルはウィーンのケルントナートール歌劇場の指揮者に招かれ、1826年からウィーンに移り住み、1832年にウィーンで没しました。

【ショパンとの関連】

*1829年7月、ショパンの1回目のウィーン訪問の際に、当時ウィーンの歌劇場の指揮者をしていたヴュルフェルはあたたかくショパン迎え、町を案内し、またショパンを説き伏せ、ウィーンでのデビュー演奏会をやらせた中心人物となりました。ヴュルフェルは、広告の張り紙からプログラム作り、打ち合わせ、リハーサルに至るまで、諸々の演奏会の準備をたった4日間でやりとげてくれました。

*1829年8月8日付家族宛のショパンの手紙の中で「ヴュルフェルさんは今日、ガレンベルク伯爵、指揮者のザイフリート氏、それに会う人毎に、”私が演奏会を開くよう勧めている青年です”と僕を紹介していました」と書いています。

1829年8月に行われたウィーンでのショパンのコンサートのプログラム

*1829年8月11日、ヴュルフェルが指揮するオーケストラをバックに、ショパンは『ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ変奏曲』や、ポーランド民謡に基づく即興曲を演奏し、ウィーンデビューを果たしました。さらに、ヴュルフェルはショパンのために、ウィーンでの2回目の演奏会のお膳立てもしてくれました。また、ウィーンからショパンが帰国する際にはたくさんの紹介状を書いて、プラハとドレスデンでも音楽会を開くようにと、取り計らってくれました。このプラハへの紹介状にはショパンのことを「彼はワルシャワ宮廷、ワルシャワの大衆の寵児です」と書いてありました。

*1830年のショパン2回目のウィーン訪問の際にもヴュルフェルはショパンを大歓迎し、再びウィーンで公演してはどうかと提案し、何を弾くべきかということまで助言してくれましたが、残念ながらヴュルフェルは当時結核を病んでおり、床に臥したままだったため、ショパンの力にはなれませんでした。

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